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縄文ロードバスの旅2

 投稿者:@塾長  投稿日:2017年 7月27日(木)08時53分10秒
  通報 編集済
  翌日は、お天気には恵まれませんでしたが、

諏訪郡原村の阿久(あきゅう)遺跡へ見学です。
村の考古学学芸員さんの案内で、発掘品収蔵庫を見学しました。
すごいのなんのって、縄文時代の紹介の本の中に載っていそうな、色々な土器が復元されていて大喜びです。
縄文初期の無紋土器から縄目模様や線刻模様、細い粘土紐を張り付けて作る模様や、獣顔のついた土器など、さまざまでした。
時代が下がるに従い土器が小さくなってくるのは、採取食物の変化(寒冷化)を示すと考えられるそうです。
学芸員さんの熱っぽい説明に、一同引きずり込まれていました。

つぎは、大きな丸太が「御柱(おんばしら)」の原型を語っているような、「中ツ原遺跡」です。
青森の三内丸山遺跡との関係を連想させてくれました。(縄文交易ルートの存在)

そして、バスは蓼科高原へ登り、白樺湖を通り八ヶ岳中信高原「八島湿原」へ向かいました。

なんと、ここは頼朝が諏訪信仰の行事として大鹿狩りを催した場所「御射山(みさやま)」だそうです。
古文書に書かれた、諏訪明神への奉納品を並べた御供所は、地面が数段の棚状に築造されていました。
鹿を追い立て追い立てし、追い詰めて射る所らしき場所を眺めるのに丁度よい広場には、
「勅使・御桟敷・北条殿・千葉殿・和田殿・佐々木殿・梶原殿」と書かれています。
これを案ずるに、勅使(朝廷の使者)の隣の
「御桟敷」は、源頼朝(将軍の名前は通常書かない)将軍に限って「御」の字を書く。
「北条殿」は、北条時政で将軍頼朝の姑なので、御家人筆頭の席にいる。
「千葉殿」は、鎌倉幕府筆頭長老の千葉介常胤、
「和田殿」は、幕府侍所別当の和田左衛門尉義盛
「佐々木殿」は、頼朝が一番可愛がった佐々木左衛門尉定綱
「梶原殿」は、侍所所司の梶原平三景時
と想像されます。向かい側の信濃勢桟敷には「海野・望月・根津」など諏訪一族の名があります。
これは、海野小太郎幸氏・望月三郎重隆・祢津二郎宗直らかも知れません。
朝カルの「吾妻鏡を読む」講座で、故先生から何度も話を聞いていた場所に行けたので大感激でした。

その後、八島湿原の木道を散策したら、ニッコウキスゲを始め高山植物類が花盛りでした。
実は、その散策中は「ドシャブリ」だったのです。
 
 
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