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本日実施します

 投稿者:@塾長  投稿日:2016年12月 4日(日)07時59分28秒
  今日の歴散加藤塾 もみじ巡り 実施します。  
 

またも、歩いてきました

 投稿者:@塾長  投稿日:2016年11月28日(月)10時24分47秒
編集済
  小平市の鈴木遺跡資料館を見学して、市の方から1時間に及ぶ説明を受けました。
旧石器時代の遺跡が、馬蹄型に水源谷戸(石神井川源流)を囲んで、いくつも出たそうです。
なかでも、石器づくりの現場で、失敗作が捨てられているのが発見されています。
集団の選抜者が、遠い生産地まで原石を取りに行って来た石を
ナイフや矢じり、スクレイパー、斧などに成型する、加工品センターではなかったかとも、云われます。
1万年以上も前の寒冷化時代に、ご先祖様達が苦難の暮らしをした場所であります。
しかし、縄文時代になると温暖化で地下水位が下がり、水場が下流へと移動したため集落はなく、狩場だったようです。

午後からは、想定水場谷戸をぐるりとめぐったのち、玉川上水の貫井橋まで出て
そこから分水していた小金井用水跡地に沿って散策し、小金井駅西側を南下し、国分寺崖線を下り、
国分寺藥師参詣路を散策して国分寺駅まででした。

途中、ぱらっといたずら雨がありましたが、気温も上がってきて楽に歩けました。
しかし、旧石器時代の話には、ロマンがいっぱいでした。
 

歩いてきました

 投稿者:@塾長  投稿日:2016年11月23日(水)21時23分56秒
  上大岡から弘明寺経由、北向き地蔵経由、保土ヶ谷宿経由 天王町
プラス、江戸時代の東海道 保土ヶ谷宿から神奈川宿
良く歩きました。
5人もの参加、有難う御座いました。
 

本日実施します

 投稿者:@塾長  投稿日:2016年11月23日(水)06時25分51秒
  鎌倉古道 下の道Ⅲ 上大岡ー天王町 再歩行 実施します
南区の天気予報は、曇り 11.9度 日中の降水確率20% 夜中になって雨の予定です
寒そうなので、しっかり防寒対策を!
 

今日も歩いてきました

 投稿者:@塾長  投稿日:2016年11月21日(月)18時18分16秒
  鶴見大学生涯学習「鎌倉を学ぶ」のうち、鎌倉の古道を探す に参加しました。
午後からなので、歩いた距離はさほどではないのですが、
朝からぐずっていた天気が、二時過ぎには泣き出してしまいました。
不思議なもので、午前中の雨の降らない時間は寒かったのに、
雨が降り出したら、急に温度が上がりました。
古道ネタで面白かったのは、永福寺前を奥州大道が通っていた説でした。
奥州大道があったから、永福寺をあそこの場所にした説です。
説としては面白いのですが、吾妻鏡を読む限り、俄かに同意しにくいのですが?
 

歩いてきました

 投稿者:@塾長  投稿日:2016年11月21日(月)08時30分42秒
  歴史古街道団の大栗川を歩く、その8最終章大田川源流を目指すに参加してきました。
京王相模原線の「京王堀之内駅」から北側を歩いて、南大沢八幡宮や首都大学前を歩き、
南大沢駅の周りをを西から南へとぐるっと回った感じでした。
多摩地区は、横浜あたりより気温が低いらしく、木々がすっかり紅葉していました。
山を切り開いた町なので、緑が多く、近代的デザインの建物ばかりでした。
一緒に歩いた方たちが二万ぽ歩を超えたといっておられました。
 

おー泰時さん!

 投稿者:@塾長  投稿日:2016年11月16日(水)15時58分14秒
  子煩悩ぶりと、お仕事とで、お忙しそうですね。
ぬぁーーーんと下の道は、とうとう千葉県へ入りましたぞ。
これで、上の道は埼玉県所沢市、中の道は埼玉県川口市とすべて東京を抜けました。
 

第69回【紅葉めぐり】

 投稿者:3代泰時  投稿日:2016年11月15日(火)16時38分30秒
  こんにちは!泰時です。

久しぶりに史跡廻り参加するつもりでしたが
12/4息子の空手の試合が入ってしまいました。

久々の復帰!と思っていたのに残念です。

古道歩き等次回を狙います。

 

歩いてきました

 投稿者:@塾長  投稿日:2016年11月14日(月)17時33分11秒
編集済
  一昨日ですが、歴史古街道団の宮田太郎団長引率の
「相模野眺望の尾根古道と長池伝説の奥州古道」に参加してきました。
京王相模原線「京王堀之内駅」から「多摩境駅」までです。
なんと、宮田団長のおかげで、吾妻鏡記録の蓮生寺へ行くことが出来ました。
その記事を掲載すると
養和二年(1182)四月小廿日庚申。圓淨房召しに依て武藏國自り參上す。
御祈の丹誠を抽き出ん爲、此の間營中に候う。
是左典厩の護持僧
と爲し武衛御胎内之昔、御帶を加持する者也。
而るに平治逆乱以後、洛陽を出で武藏國に來り、一寺〔蓮生寺
と号す〕を草創し住む所と爲すと云々。
仍て且は往年之功を感じ、且は當時の懇祈を優被れ、田五町
桒田五丁を以て未來際を限り、彼寺に寄附し給ふ。
参考①護持僧は、他からの呪詛から守る為に祈る坊さん。
参考②蓮生寺は、八王子市別所の由木山蓮生寺に天台宗として1182年に創建の伝説有。Ehight多摩の駅シリーズ「京王線堀之内駅」参照
参考③田五町は、当時約50石採れる。当時一反で一石。一町は10反。一丁も同じ。鎌倉後期以後はその倍は取れる。
参考④未來際を限りは、「未来の際まで」で永久にの意味。
現代語養和二年(1182)四月小廿日庚申。円淨房が、頼朝様の呼び出しに従って武蔵の国からやってまいりました。
特に丹精込めて御祈りをするために御所に来ております。
この人は、父左典厩義朝様を守る専用の祈祷師として、頼朝様がお母さんのお腹の中にいる時、安産祈願の腹帯を締める祈りをした者です。
それなのに平治の乱の折、京都から武蔵国へきて、蓮生寺を建立して住みかにしました。
そこで、昔の恩返しと今平家討伐の祈りをさせるために、田5町と桑畑5町を未来の果てまでの約束(永久)で寄付されました。
 

横浜は凸凹

 投稿者:@塾長  投稿日:2016年11月 8日(火)16時01分58秒
  横浜は、一応関東平野に属してはいますが、地元では50m程度のアップダウンがいっぱいです。
何処へ行くにしても、自転車は必ず一回は押して登る坂道があります。

私の家へも、駅からはゆるーいアップなのですが、道はかつての田んぼを避けているので、
元田んぼの両側の小さな丘をを一旦登ることになります。
これが、どちらの坂も自転車を降りて押して登ります。

先日の古道で、葛飾から市川へは、自転車の多いのに驚きました。
しかも、ほとんど電動アシストなしのノーマル自転車なのに感心していました。
ここらのママチャリは電動アシストつきです。

重忠めぐりの会員さんは、ほとんどが多摩の方たちや横浜の人なので、
東京平野のはしっこの山際の人ばかりですので、坂道になれております。
 

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