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歩いてきました

 投稿者:@塾長  投稿日:2017年 2月27日(月)20時19分19秒
編集済
  一昨日の土曜日ですが、歴史古街道団の宮田団長の案内で、百草園でした。

現在は、京王百草園がありますが、かつてあの山には大寺院があったのです。
吾妻鏡にも載っている「真慈悲寺」があったんだそうです。
頼朝は、祈願寺として一切経と荘園を寄付しています。
また、後白河法皇の49日には、鎌倉の勝長寿院で百僧供を行った際に、3人の官僧が参加しています。
官僧が、3人も参加したという事は、当然純然たる坊さんが10人くらいは居たんだと思います。
とすると、その身の回りの世話をする下働きの坊さんもいただろうし、年貢を徴収してくる僧兵もいただろうと思います。
現地に行って、百草園下の谷戸を見ていると、七堂伽藍はともかく、かなりの僧坊が並んでいたような、そんな想像が浮かんできました。

その後、寺院は時の移り変わりの中で廃寺となり、小田原北条氏の時代には、見張り砦的な城だったようです。

江戸時代には、別系統の方が新たな寺院を建立したので、現在の百草園はその時代の方丈の裏庭だったみたいです。

百草園の裏山をあっちへ登ったり、こっちへ下ったりと、結構歩き回りました。
今度、歴散加藤塾の人たちも案内したいですね。
 
 

化粧坂はきつかったですね

 投稿者:@塾長  投稿日:2017年 2月19日(日)22時26分56秒
編集済
  鎌倉古道 上の道1 再々歩行 リクエスト戴き歩きました。
7名の参加です。
鉄井戸から、巌谷不動前、寿福寺前で往古の古道を発見。
化粧坂には、切通しがない。でも外鎌倉からの攻撃は難しい。
寺分は、昔ながらの静けさ。兜松は民間信仰の神様。
村岡城址は、何も残っていない。
などなど、参加者の皆様には、楽しんで戴けたようなので、まずは良かった。
 

参加有難う御座います

 投稿者:@塾長  投稿日:2017年 2月15日(水)17時35分20秒
編集済
  楽しんで戴けたようで、よ・ござんした。
方位や時間については、現代より表現がはるかに複雑だったようです。
乾   子   艮
  亥  丑
 戌    寅
酉      卯
 申    辰
  未  巳
坤   午   巽
 

七稲荷めぐりについて

 投稿者:LAGUNA  投稿日:2017年 2月15日(水)11時01分8秒
  2月12日(日)の七稲荷めぐりに参加いたしました。
現地での塾長の解説から、また新しい知識がインプットされました。
例えば、鬼門とされる丑寅や裏鬼門の巽の方位・方角の話など興味深かったです。

これら七稲荷は、普段歩いている鎌倉の散策路に隠れてひっそりと存在していることを
知ったことは、鎌倉の再発見となりました。
今回の散策は、距離も時間にも余裕があり楽勝でした。
今後とも、参加していきますので、よろしくご指導ください。
ありがとうございました。
 

歩いてきました

 投稿者:@塾長  投稿日:2017年 2月12日(日)20時18分29秒
編集済
  初午、七稲荷巡り。
まず、若宮大路へ出て、宇都宮稲荷へ詣でました。
次に路地を北上して、八幡宮東側路地へ入り、八幡宮巽(東南)の隅の築山稲荷。
八幡宮の石段を上って、この山に元からおられた地主神の丸山稲荷へ、
地主さんなので、八幡宮社殿より一段高く祀られていますが、
登って行ったら、初午特別祈願のお札を買わないものは、入り口でシャットアウトです。
近頃の八幡宮は、商業主義に徹しています。
気を取り直して、八幡宮坤(西南)隅の紅葉稲荷。
赤橋前の駐車場隅の和田稲荷。これは、和田左衛門尉義盛の屋敷の鬼門にあったと推測されます。
巌谷道から今小路へ出て、名刀工岡崎五郎正宗鍛冶工房跡と伝えられる刃稲荷。
そして、佐助隧道を抜けて、佐助稲荷と七カ所巡りを歩いてきました。

今回は、飲み会無しです。
7人中5人が飲めない身分(先天的とドクターストップ)なのと塾長が、
先日の国民健康保険特定健診でひっかかってドクターストップ状態だからです。
塾長は、断酒四日目です。
 

歩いてきました

 投稿者:@塾長  投稿日:2017年 2月11日(土)19時48分36秒
  歴史古街道団の開発前の唐木田を忍ぶ散策でした。
数十年前の開発当初頃に、東京から唐木田へ引っ越してきたという方が、案内してくれました。
越してきたばかりは、小田急多摩線も来ていないし、京王相模原線も来てなくて、三十分もバスに揺られて、府中駅まで出ていたそうです。

昔の名残がある場所や、地名が残っていたりする場所を、昔の話を披露しながらです。
例えば、小川の合流する場所にあった、○○橋の地名や昔からある地蔵様、
え!川はどこへ行ったの、暗渠になってその上に散歩道が造られて、
下流でやっと顔をのぞかせてるのをみつけて、川を確認したりする一面もあります。
また、ある古在家のそばには「禁断の地」というのがあり、その土地はいじってはいけないと伝説があったそうです。
小山のすそにじめっとした場所なので、もしかしたら飲用水の涌き場だったのかも知れません。
とにかく、人それぞれの万歩計では、7km/9km/11kmとの意見が出ていました。

そうそう、二俣川は今朝の出がけには、屋根や畑は真っ白だったので、多摩の山歩きは大丈夫かと、
おそるおそる行ったのですが、唐木田駅の周りには、雪は全然ありませんでした。
 

歩いてきました

 投稿者:@塾長  投稿日:2017年 2月 5日(日)08時49分19秒
編集済
  昨日は、歴史古街道団の「高尾歩き4」に参加しました。
春のような温かさの中、高尾の古事古社巡りでした。

まずは、京王高尾線のめじろ台駅を出発し、縄文遺跡公園へ、住居跡などが復元されています。
驚いたのは、復元の川原石敷住居跡の敷石が盗まれている事でした。
世の中には、全く理性知性のない人種もいるのですね。

気を取り直して次に、小さな神社を二軒参拝し、
龍見寺の金剛界大日如来に拝顔させていただきました。

由緒では八王子に一大勢力をなした横山党が頼義の奥州征伐(1051-1062)に従軍し、
功をたて湯殿山から拝領したとのこと。
藤原時代末(1100年頃)の作品らしく優雅なお姿は、中央仏の気品をもっておられます。
(時代区分については、多少矛盾があっても伝説ですから・・・、
塾長は頼朝の奥州征伐の戦利品ではないかと推測してます)
鎌倉時代か室町時代に、時代の流行に合わせ、彫眼を玉眼に直してしまったのが惜しまれます。
そのくらい、素晴らしい出来の仏様にあえて感激ものでした。

その後、いくつかの寺を巡り、最後に高尾みころも霊堂へ行きました。
ここは、産業殉職者の御霊を祀っているそうです。で、あとは飲み会です。

gi

 

お散歩

 投稿者:@塾長  投稿日:2017年 2月 1日(水)20時47分7秒
  運動不足解消のため、隣の駅まで歩きました。
それも、平地ではなくわざと丘を登り、遠回りをして行ってみました。
しかし、いつもの安売り八百屋さんで、野菜を買い込んでしまいました。
大した料ではないのですが、このごろ重さに弱くなって、結局電車で帰ってきてしまいました。
ついでに、もよりの駅前のスーパーでインスタントコーヒーとインスタントココアも追加しました。
 

大ボケこきました

 投稿者:@塾長  投稿日:2017年 1月30日(月)15時58分4秒
編集済
  先週の金曜日27日に、歴史古街道団の「古代史勉強会」があったんです。
何時もの通りに、午後1時ころにつくように行ったんです。

お昼用にサンドイッチを買って、関戸公民館の市民ロビーへ行ったら、
役員さんたちがコーヒー談話していて、手を振って呼ぶんです。
どうしたのかとそばへ行ってみたら、今日の勉強会は午前中だったので、
時間を間違えてくる人がいると思って待っていてくれたそうです。

私のほかにも、二人午後の時間に来ました。

で、時間が余ったし遠くまで来たことだしと、百草園へ行ってみることにしました。
お二人ほど付き合ってくれたので、やはり楽しい一日となりました。
お二人さん、ありがとう。
百草園の入口に「園内のそば処は閉店しました。園内での飲食の販売は有りません。」の表示を見て、少しがっかりでした。
 

行ってきました文殊様

 投稿者:@塾長  投稿日:2017年 1月26日(木)20時44分14秒
編集済
  昨日、1月25日は大船常楽寺の文殊祭でした。
昔と違って、ずいぶんと派手になりました。
今では、建長寺あたりの雲水さんを動員したらしくて、十数人の若手坊主が来てました。
般若心経を三回唱え、そのあとは、それぞれが大きな声で轉讀です。

境内には、臨時のお守り売り場もできて、それに甘酒の振る舞いがありました。

お客もずいぶんと増えました。

昔は、閑散としていて、町の関係者の人たちと仲良く話しながら、そばまで行って拝観しました。
お囃子は、昔どおりでしたが、演奏家たちがもっと若かった気がしたのですが、
それは22年前の話なので、それなりに年を重ねてきたようです。
 

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